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日記

ゴールデンウィークが始まりました。今日は、息子と二人で買い物に行きました。
息子の必要なものを買ってから、スーパーに行ったんです。そこで息子のお友達のお母さんと会いました。最近、見かけないので「どうしたんですか?」と聞くと、「実は切迫早産気味で安静にしているんです」とのことでした。とてもスマートな人なので妊娠中とは気が付きませんでした。聞くと6ヶ月目に入ったそうです。その時は、
「気をつけてくださいね」と気持ちのままに言ったんです。でも買い物を終えて、自転車をこぎながら、息子同士も同じ年・月生まれ、二番目も女の子同士で同じ年、そして3番目の子もいたら同じくらいの妊娠週だったなぁと・・・やはり3人目を妊娠している人を羨ましく思ってしまいました。
いつまで続くんだろう?と感じました。夫には、もう繋留流産のこと話す気がしなくなってきて、ここに書くことが唯一、気持ちが晴れるというか、穏やかになれます。
姉に貸し出す出産準備品の整理を今日もしました。今日は、お宮参り用ドレス、95センチまでの服、ベッドメリーなどのおもちゃ、離乳食用グッズ、ベビーカー付属品などなど。うちは、一人目が男の子、2人目が女の子なので、ほとんど着ていないような服が出てくる、出てくる・・・女の子だとつい買ってしまい、息子の服を娘に着せないままタンスの肥やしにもならない服が山のようにありました。整理するとクローゼットがすっきりしました。恐らく姉もこれだけの服を着せずに終わってしまうはずです。気に入った服ばかり着て、目にとまらない服や着せにくい服って結局、きれいなままなんです。娘は、服は気にならないらしく、空いた衣装ケースの中に入って遊んでいました。お友達の女の子は、ママが衣替えをしていると次から次へと試着したがって、ぜんぜん作業が進まなかったと言っていました。

長男を出産する直前にベビー服を買い、それを手に取ったとき、「こんなに小さな服なんだ、かわいい〜!」「小さいのにちゃんとした形だわ」といたく感動したのを思い出しました。娘の時は、「スカートだ!かわいい」とまたまた感動しました。そして、今日は「こんなに小さい服もあっという間に着られなくなるほど子供って日々成長しているんだな」と思いました。小さな感動を毎日続けていけたらと感じました。
子供達2人とも育児日記を3歳までつけることにしています。でも3歳を越えた方がおしゃべりの内容も濃く、書き残しておきたいことがたくさん増えたような気がします。かわいい育児日記、またどこかなつかしさを感じるグッズにたくさん出会える
ショップを見つけました。一度、のぞいて見てください。
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以前で言うところの高齢出産の実姉は、出産予定日まで後2ヶ月あまりとなりました。今日、我が家のベビーベッドやベビー布団やほ乳瓶などといった出産準備品を姉に渡しました。3人目が来てくれるという願いもこめて「貸し出しておくわ」と言いましたが、このまま引き取ってもらうようになるのでは?また返してもらう日がくるのかな?

流産がなければ、今頃お腹も目立ち始める頃なんだろうなとふとした時に思ったりしてしまいます。また、3人目を妊娠している人を見たとき、流産を思い出してしまいました。私の場合、2人の子供がいるので、初産や2人目の赤ちゃん誕生では、嫉妬のような気持ちはないのですが、3人目を妊娠中の人を見ると羨ましいという気持ちが出てきます・・・実際、大変なんだろうけど。
術後、初めての生理は、ちょうど1ヶ月と1日で来ました。早くて1ヶ月で生理が開始され、生理が一回あれば、また妊娠を考えていいですよと主治医の先生は言われました。しかし、しばらく期間をあけようかと考えています。
2回目の生理は、遅れました。今までわりと正確に28日周期だったのが、33日でした。しかも量が今までになく多くて・・・生理痛は、出産後軽くなり、術後も大して変わりありません。しばらく様子をみないとわかりませんが、次の妊娠大丈夫か不安になってきました。年齢のことを考えると早いに越したことは、ないと思うのですが焦ってしまうとまた同じ事にならないかという不安もあります。色々なサイトを見ると、掻爬をした後は、子宮がきれいになっているから妊娠しやすいと書かれている場合とまた急いで妊娠をすると流産になってしまったというケースと・・・一人一人違うので一概には言えないと思いますが、とりあえず、たくさんの情報を求めて、術後は、検索しました。近い将来、このブログでご報告出来れば嬉しいのですが。
妊娠中の体重管理は、一人目二人目共にうまく行きませんでした。
幸い、元の体重には戻り、体型は戻らず、過ごしていました。
しかし、退職後、4ヶ月で体重は、7キロ増加・・・3人目を妊娠したのでダイエットは、お預けだな〜と思っていましたが、流産したので、少し気合いを入れて、ダイエットをしてみることにしました。
世間で評判の?豆乳おからクッキーを購入しました。3日間、夕食をクッキーにしましたが、変化なし!「あ〜、やはり誇大広告か」と思っていると、1週間経つと3キロ減っていました。
そして、1週間、旅行に出かけ、おいしいものを食べまくった結果、2キロ戻り、マイナス1キロに留まっています。でもまた再開してがんばるぞ!!妊娠前の体重管理をきちっとします。
 主治医の先生からは、指示はありませんでしたが、色々なサイトを見ていると基礎体温は、つけた方がいいとのことでした。
 2人目が欲しいと思ったときに基礎体温計を購入しましたが、1周期つけ終わる前に妊娠したので、無用の長物と化していました。タンスにしまってあった基礎体温計を出すと電池が切れ、説明書もどこへ行ったかわからなくなりました。
 思い立った時に!と決意し、電池を購入し、説明書も再度取り寄せました。(300円でした)
 翌日から測り始めましたが、1週間ほど測定しても記録されていないんです。確か前はグラフになっていたのに・・・(説明書がまだ届いていませんでした)
 説明書を読むと、アラームをセットしないと体温は記録されないようです。私は、目覚まし時計というものがなくて、決まった時間に起きられるので、いつも目覚ましはかけないのです。当然、アラームもいらないわと思ってセットしなかったのです。
 気を取り直して、アラームをセットし、測っています。
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コメント:私が使っているのは、これです。取り扱いは、簡単です。

 今回、このように悲しい出来事を経験しました。当初は、この経験を文章にすることなんてとても出来ない精神状態でした。子供達がいるのでそうそう落ち込んでもいられなかったのですが、ふと家事をしていてもぽっかりと心に穴があいたような気がしていました。
 しかし、みえなかったものをこの経験を通して、知ることが出来ました。
 2人を元気に出産している私でさえ、こんなに悲しんでいたのだから、他の方達は
どんな気持ちなんだろうか・・・と。 
 今までつわりもほとんどなく、妊娠中も特に注意を払うこともなく、2人の子供は
元気に成長して、誕生しました。1人目の息子は、分娩時間49時間、二人目の娘は、27時間と平均よりはるかに長時間出産にかかったものの、「経過が良好だから
この位は仕方ないわ」と考えていました。
 しかし、赤ちゃんが欲しくても出来ない方、不妊治療の末に妊娠し、流産された方、死産された方、流産を繰り返されている方、障害を持って生まれた赤ちゃん、難病の子供さんを持つ方、最愛の我が子を亡くされた方等などたくさんの辛い思いをされている方がいるということに気が付きました。
 二人目不妊で悩んでいるママ友達に「残念だったけど、妊娠できるだけでもいいんじゃない」と言われた時は、(流産がわかった翌日で手術前日)少しショックでした。しかし、1ヶ月以上がたった今、その言葉も理解できます。
 2人の子供達を私の気分で叱ったりすることは、いけないなぁと思うのですが、心身共に回復した今、また難しい問題です。人間修行が足りません。
【2月19日】前回の検診で,術後の経過が悪かったので、また検診に行きました。
「あ〜また今日も産科に行かないといけないのか」と気分が沈んでいました。
 朝一番に主治医の先生が予約を入れて下さったので、それほど待たずに済みました。
 内診すると「もう普通の生活でいいですよ」と言われました。
 先生にもう一人子供が欲しいことを話すと、生理が1回来れば、普通に子作りを考えてもらえばいいですよ、最近は、初産で私くらいの年齢(35才です)の方もいらっしゃるので、大丈夫ですよ!と笑顔で言ってもらえたことが、非常に心強く、少し
嬉しくなりました。
 娘も「おかあたん、よかったね。とっても心配してたよ」と言うのでびっくりしました。普段は、こんなに長い文を話さないのです。
 それでも、この後もしばらくは、心にぽっかりと穴があいたようで、何かをしていてもふと悲しくなり、涙があふれるといった精神状態でした。
 息子は、「もう神様は僕たちのところに赤ちゃんあげないってきめはったん?」というので「また来るよ。この赤ちゃんは、お星さまになったよ。ずっとお空から見てくれているから忘れないであげようね」というとぽろぽろと涙をこぼしていました。
 【2月14日】流産手術後の検診日は、主治医の先生の診察日では、ありませんでしたが、退院時に看護師さんが「予約は13時になっていますが、都合のいい時間に来たら主治医の先生が外来まで来て、診てくれます」と言っていました。
 この日は、水曜日で息子の帰りが早いので、朝一番に病院に行きました。
 するとどうやら、看護師さんの勘違いで、主治医の先生は、診察に来られないと言われたのです。婦長さんらしき人と私が説明を受けた看護師さんが外来までやってきて、昼から出直してほしいというニュアンスのことを言われたのです。
 自宅から病院へは徒歩2分くらいなのでそうできるものなら、そうしたのですが、
息子の帰りが早いことを話すと、結果的には、病棟で主治医の先生に診察してもらえることになりました。
 病棟の内診室で子宮の状態を見ると、モニターに赤ちゃんの様なものが映っている
のが私にも見えました。(そんなはずは、ありませんが)
 多分、子宮の壁がはがれ落ちたものなのか、先生は、看護師さんに器具を出す様に
言われ、「ちょっと痛いですよ」と言われ、再び処置を受けました。
 麻酔も何もしていないからか、かなり痛かったです。痛みと足を上げているせいか次第にプルプルと足が揺れていました。入浴も経過がよければ、術後1週間からと聞いていたのですが、この日は許可が出ませんでした。
 かなり多めの出血は、手術後10日くらい続いたと思います。
 夫が帰ると内診室で再度、赤ちゃんを確認しました。
 もしかしたら、先生の操作ミスで赤ちゃんが動いているのを見落としているだけかもしれない・・・まだそう思ったりしていました。
 やはり、赤ちゃんは、動いていなかった。
 昼からの手術に向けて、子宮口を広げるために棒きれを3本入れますという説明を
受けました。何をされているのかわからず、不安で多少痛みもありました。
 この処置は、5分位で終わりました。看護師さんに「トイレも自由に行ってもらって構いませんが、ベッドの上で安静にして下さい」と言われました。
 部屋で一人、また涙が出てきました。まわりから赤ちゃんの泣き声などが聞こえる度に「私もこんな声を聞くはずだったのに」と思い、悲しくて仕方ありませんでした。
 何をする気にもなれず、ベッドの上でじっとしていました。時間がなかなかたちません。当初、15時半から手術をしますと言われていましたが、直前に別の看護師さんが来て、手術が遅れそうだと告げられました。
 恐らく、5時間ほどベッドの上で何もせず、ただ時間が来るのを待っていました。

 夕方になって、看護師さんが呼びに来ました。歩いて手術室まで行き、台の上に
登り、腕に筋肉注射をされました。
 次に麻酔医の先生と主治医の先生が入ってきて、私には何も言わず、始まりました。
 「終わりましたよ」という看護師さんの声で目が覚めました。朝、まだ布団から出たくない、夢うつつの状態でした。
 ストレッチャーのまま、病室まで運んでもらい、「これでしばらく眠れそうだ」
(睡眠不足だったのです)と思ったのもつかの間、すぐに眠気はとれました。
 「経過が良ければ、18時以降になりますが、今日退院できますよ」と言われました。
 外も暗くなった頃、別の看護師さんがやってきて、退院の説明と薬を持ってやって
きました。
 着替えを済ませて、病院から出て、一人歩いているとまた涙が出てきました。
 この日は、夫は当直勤務、子供達は夫の実家で預かってもらっていました。
 朝から絶飲食だったので、とりあえず食事を済ませ、横になりました。
 布団の中で子供達のぬくもりもなく、一人でまた泣きました。

 夜中になると激しい腹痛に襲われ、病院に電話しました。当直医が電話に出て、
     ばい菌に感染しているかもしれないし、何とも言えない。明日、外来に
     来たら
ということを言われた。
 なんて人間味のない医者なんだろう!と腹が立ちました。










 
 流産と言われ、色々と考えていると眠れなくなりました。夜、みんなが寝てから
インターネットで流産についてのサイトをたくさん見ました。
 そこで色々な人の経験を読むともっと辛い経験をされている、私だけが辛いので
はないと勇気付けられました。
      掻爬(そうは)・・・組織をかきとること。特に子宮腔内面をかきと      り、内容を除去する。
 先生はこの言葉は使われませんでした。
【2月7日】子供さんを幼稚園に送ったら、すぐに病院に来て、入院手続きをして
病棟に来て下さいと言われていました。
 仕事人間の夫ですが、要所要所では、家族思いです。夕方まで仕事を休んで病院へ付き添ってくれようとしていました。
 しかし、私から家で娘と待っていて欲しいと言いました。
 入院手続きを済ませ、病棟へ行きました。担当の看護師さんが病室へ案内してくれ
ました。個室だったので少し安心しました。
 病棟に入ってすぐの所には、産まれたばかりの赤ちゃんが何人か並んでいました。
 赤ちゃんをみるとやはり悲しくなってきました。
 部屋にいると看護師さんが来て、「手術の同意書にご主人のサインがいる」と言われたので、夫に電話をして病院まできてもらうことになりました。
 先生から手術の説明を受け、手術によって起こりうる危険が書いてある書類に夫と
私のサインをそれぞれ書きました。

 夫は、時間の許す限り付き添ってくれると言いましたが、娘を病院に置いていくのが嫌で帰ってもらいました。夫と娘が帰る時、娘が大声で泣く姿をみて、私も泣いて
しまいました。
 家に戻り、仕事中の夫に携帯電話のメールで知らせました。普段、仕事中は、返信がこない夫から「残念だけど、ポジティブに考えよう。今は体が一番大事」という
メールが届きました。
 この日は、仕事が終わるとすぐに帰ってきてくれました。
 もう一人妹が欲しいと言っていた息子は、「赤ちゃん、可愛がろうと思ってたのに。神様、赤ちゃんを僕らにくれはれへんかったな。僕が悪い子やったからかな」と
言いました。
 両方の両親は、私を気遣って多くを語りませんでした。
 6月に初めての赤ちゃんを出産予定の姉は、電話口で泣いてくれました。
 家族にも心配をかけてはいけないと思い、家事を普通にこなしながらもふと気が
つくと涙が止まらなかったり、気持ちを立て直したりを繰り返し、2日間過ごしました。
 内診室に入って、2人の子供の妊娠中、何度となく見た超音波のモニターを
見ていました。すぐに心臓が元気に動く様子が映し出されるだろうと・・・
 先生が機械を動かして、なかなか画面を止めずにいることにも気がつかない
くらい、「赤ちゃんは元気だ」と思っていました。
 しばらくすると先生が「流産かな」と言ったのです。私は、「えっ?そんな簡単に流産なんて言葉を使わないで!早く赤ちゃんを見つけてモニターに映して見せて!」と心の中で叫んでいました。
 先生から「残念ですが、流産ですね」と言われた時も「嘘だ、何で?私が?」と信じられない気持ちでした。何かの間違いだと思いながらも頭が真っ白になっていき、ぼう然としていました。
 娘に「おかあさん、はい、これ」とズボンを渡されて、ぼ〜っとしたままズボンをはき、先生の説明を受けました。
  ● 初診の時、出血時の診察の時、それぞれ心音を確認しているので、今動いて   いないということは、流産です。
  ● 初診の時に心音が確認できていなかったら、もう少し日数がたてば心音が確   認されるということもありますが・・・
  ● 計算からして、今日、8週の大きさになっていて欲しかったけど、7週位の   大きさしかありませんので恐らく7週目に亡くなったんでしょう
  ● この週数でなくなるのは、染色体異常で、母体に問題があるわけではないで   す。
  ● 出来るだけ早く赤ちゃんを出して、子宮をきれいにした方がいいのであさっ   て手術しましょう    
といったようなことを言われました。
 看護師さんから、手術の申し込みなどの説明を受け、機械的に会計を済ませ、病院を出ました。病院を出た途端、涙があふれてきました。この時は、繋留流産という言葉は知りませんでした。 
【2月5日】二回目の検診日になりました。11時の予約でした。2回目からは、
それほど待たずにすむと思うよというママ友達の話でしたので、気楽に考えて
「出血も止まったし、予定日が今日わかるんだ」と楽しみに病院へ行きました。
 診察の進捗状況を示すボードが出ていて、随分混んでいそうだなぁと思いながら
娘に本を読んで待っていました。2時間待っても呼ばれそうにないので、看護師
さんに「食事を先に済ませて来ます」と告げて、最上階にあるレストランに行き
ました。「こんなに待たされて、また出血したらどうしてくれるの!?」なんて
考えながら、娘とお昼ご飯を食べ、産科に戻るとすぐに呼ばれました。
 主治医の先生に先日の出血の話と「もうよくなりました」ということを伝えると
「まぁ大丈夫でしょう」と言われ、内診室に行くように言われました。
 
【1月30日から2月4日】産科で「出血がだらだらと続くようなら受診して
下さいね」と言われていました。実家で1月30日から2月3日まで過ごしま
した。実家に帰った日、すぐに出血はなくなり、安心しているとまた出血の
繰り返しでした。トイレに行くのが段々怖くなり、(でも出血が止まっている
のを確認したい)祈る様にトイレに行っていました。
 2月3日は、土曜日で夫も仕事が休み、出血もほぼなくなったということで
車で迎えに来てもらい、しばらく買い物に行かなくても済むように実家近くの
スーパーで買いだめしてから帰りました。
 夫、息子も3人目の赤ちゃんをとても楽しみにしていたので、私の体調を
気遣ってくれて、とても感謝しました。
 翌日4日の日曜日は、夫は2人の子供を連れて、自分の実家に行き、私は、家で
ゆっくり休ませてもらいました。なんだか申し訳ないなぁと思いながらも
「赤ちゃんのためだもんね〜」と考えて一日布団に入っていました。
【1月29日】以前から私が3人目が欲しがっていることを知っているママ友達が遊びに来てくれました。3人目が産まれることを報告すると喜んでくれて「何でも困ったことがあったら言ってね」と言ってくれました。
 私は、2人の子供の妊娠中は、つわりもほとんどなく、職場では「元気な妊婦」と言われていたし、娘の時は、出産の3日前まで息子を自転車に乗せていたことなどを話し「大丈夫よ」と答えたのを覚えています。
 そして、この日も自転車で子供二人を乗せ、坂道を2往復しました。
夜、お風呂からあがり、トイレに行った時に少量出血をしていることに気が付きました。ちょっと自転車に乗りすぎたかな?くらいに考えていました。
 子供と一緒に早めに休みました。
【1月30日】朝、起きてトイレに行くと出血はしていませんでした。
特に気にせず、子供2人を自転車に乗せて、幼稚園に行きました。
帰ってから、出血に気が付きました。少しずつ出血が増えているので産科に電話しました。看護師さんが電話に出てきて「安静にする以外ないので安静にしていて下さい」と言われただけで診察の指示はありませんでした。
 昼食を作る以外は横になって、娘に本を読んで過ごしました。
 午後3時頃になり、生理中のような出血になりました。もう一度、産科に電話して「診察して頂けませんか」とお願いすると「では、来て下さい」と言われました。
実家に電話をして、息子の幼稚園へのお迎えを頼み、娘と産科の病棟で診察を受けました。若い女医さんですぐに超音波で見て下さり「赤ちゃんも元気に動いてます。見た感じ子宮の状態も悪くないです。でも出血があるということは、切迫流産ですから」と言われ、ほっとしながらも切迫流産という言葉に不安を覚えました。
 まだしっかり話せない娘が「おかあさん、よかったね」と言ってくれ
涙が出そうになりました。
 先生と看護師さんにとにかく安静第一なので、入院する手もあるけれど、2人子供さんがいるから、入院も大変だし、実家に帰ることを勧められました。
 息子の発表会が近いので幼稚園を休ませるのも気が進まないし、両親にも迷惑がかかるし・・・と実家に帰るのを思案していましたが、赤ちゃんが第一だと思い、子供達と一緒に実家に帰りました。
平成19年9月、私達夫婦の3番目の赤ちゃんが誕生する予定でした。
第一子は、8月8日生まれの男の子、第二子は7月7日生まれの女の子なので、「三人目は、9月9日に産まないとね。ぞろめ三兄弟だ。性別はどっちでもいいね」と話していました。
【1月8日】12月から「三人目出来てるかな〜」と夫と楽しみにしていました。生理が予定より少し遅れていました。妊娠判定薬を使うのは、まだ早いかな?と思いながら、一人で買い物に行き、外出先のトイレで判定を待ちました。くっきりと陽性が出ました。とても嬉しかった。
 あ〜私も3人の子供のお母さんだ、息子は、もう一人妹が欲しいと言っていたから喜ぶだろうな、娘も今までは、「妹」だったけれど、お姉ちゃんになるんだなぁとあれこれ考えて幸せな気持ちに浸っていました。
【1月22日】娘を連れて、自宅から徒歩2分の総合病院へ行きました。
息子、娘は、隣の市にある産科だけの病院で出産しましたが、3人目ともなると自宅から一番近い場所がいいだろうと考えて選びました。
 お友達から「一回目は待つよ」と言われていたので覚悟はしていましたが・・・
 結局、病院滞在時間は、4時間でした。娘は、「もう帰ろうよ」としきりに言っていました。それでも新しい命が誕生するという喜びが大きく、待ち時間もそれほど気になりませんでした。
 やっと看護師さんから呼ばれ、出産に関する質問の最後に「こちらの病院で出産されますか」と聞かれ「はい!」と答えました。
 その後、先生との問診の後、内診、超音波で元気に動く赤ちゃんを見て、「やった〜」先生は、「2週間後の検診で予定日を決定してから母子手帳をもらうことにしましょう」と言われました。
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Profile
マルタと申します!
30代主婦。家族は、夫、息子、娘の4人です。
ワーキングマザーをしていましたが、昨年退職し、専業主婦2年目となりました。働いていた時とは違った生活にも慣れ、毎日楽しんでいます!
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